山に登り始めて1年が経つ。
きっかけは、娘が部活の合宿で不在のGW。
快晴だった。
青空をバックにそびえる山に、「おいで」と呼ばれたような気がして、慌てて荷物をまとめた。
適当な服に、水筒に入れた500mLの水を持って挑んだ初めての山。
駐車場から登山口に着くまでに1時間。
綿のトップスはあっという間に汗でビショビショになり、冷えるとその汗が体温を奪った。
登山口に到達する前に脱水で立てなくなり、あしたのジョーのように道端に座り込んだが、気力を振り絞りなんとか登頂。
勝ったのか負けたのかよくわからない、何だか散々な登山ではあったが、素晴らしい景色と達成感が忘れられず、あれからも山に向かっている。
山に登るたびアイテムは増え、便利な道具も増えていった。
便利な道具の代表と言えばYAMAP。
それは遭難の危険から命を守ってくれるGPS地図だ。
機能をONにすると、自分の歩いたコース・登頂にかかった時間・下山にかかった時間・合計活動時間を記録してくれる。
そこに山で撮った写真やコメントを載せ、SNSのように公表することも可能。
他の人の投稿を見て、登山計画を立てたり、登る予定の山の現状や危険個所を知ることもできる。非常に優秀かつありがたいツールなのだ。
しかし、便利な道具は時に毒となる。
YAMAPを使い出してから、次第に登山が苦しいものになっていった。
私は体力がないため、登るのがとても遅い。
実力がないのは重々承知しているが、YAMAPの投稿を見た山仲間に「ずいぶん遅かったんだね」「自分は〇〇分で登った」と言われると心穏やかではいられないのである。←ただの負けず嫌い。
「もっと速く登りたい」「平均時間より大幅に遅れると恥ずかしい」という思いに囚われ、苦しくても綺麗な景色を眺めていたくても、時間を気にして先を急ぐようになってしまった。
そうなると、もう登山なんて苦行以外の何者でもない。
いつものごとく急き立てられるように頂を目指していたある日、「なぜこんなに辛いのだろう」と、ふと疑問を感じた。
自然に、手に握りしめていたスマホに目がいった。
これだ…。
足元に咲く花を愛で、雲の流れを眺め、山の稜線に目を細め、肺いっぱいに澄んだ空気を吸い込む。
そんな登山が好きだったはずなのに、時間に追われるあまりに大切なことを忘れてしまっていた。
人生と同じように、山にもそれぞれの登り方がある。
走りたい人、他の人に負けたくない人、振り返りながら歩く人、のんびり歩く人、大人数でお喋りしながら歩きたい人、1人で黙々と歩く人。
どの登り方が間違っているなんてことはない。
自分の身の丈に合った、自分が心地よいと思える登り方をすればいいのだ。
そう考えているうちに、平均タイムなんてもうどうでもよくなった。
自分の好きなように山を楽しめばいいのだ。
「便利な道具は使いよう」
道具に支配されてはいけないのである。
そんなわけで、私はこれからもYAMAPのお世話になるだろう。