みなさんいかがお過ごしでしょうか。
本日は、記録小説の巨匠吉村昭さんの名作11選をご紹介します。
記録小説とは、現実の事件をめぐる事実をふまえ、現場、証言、史料を周到に取材し、緻密に文学的に構成した作品を指します。
敷居が高いと思う方もいらっしゃると思いますが、ひとたび読み始めると、そのリアルな面白さに引き込まれますよ。
私が最も尊敬する小説家です。
1927-2006年。 東京都出身。
学習院大学文政学部所属時代から作家を志し、大学中退後繊維関係の会社に勤務しながら執筆活動を本格的に開始しました。
奥様は芥川賞作家の津田節子さんです。
1966年「星への旅」で太宰治賞を受賞
1972年「深海の使者」により第34回文藝春秋読者賞を受賞
1973年「戦艦武蔵」「関東大震災」など菊池寛賞を受賞
1979年「ふぉん・しいほるとの娘」で吉川英治文学賞を受賞
1985年「冷い夏、熱い夏」で毎日芸術賞受賞
1985年「破獄」で読売文学賞および芸術選奨文部大臣賞を受賞
1987年「破獄」日本芸術院賞を受賞
1994年「天狗争乱」で大佛次郎賞を受賞
この他にも多くの賞を受賞しており、芥川賞に4度・川端康成賞に5度ノミネートされています。
2006年には従四位及び旭日中綬章を授与され、名実ともに日本を代表する大作家です。
TOP3はランク付けしているので、参考になると嬉しいな!
赤い人
1977.11月出版
北海道の月形町にある樺戸集治監を舞台に、囚人による過酷な開拓を記録した作品。
真冬の極寒の地で、素足に草履での過酷な労働を強いられる赤い獄衣を纏った人々。
囚人たちに容赦なく襲い掛かる、凍傷・栄養失調・過労・病。使い物にならなくなると、生きたままその場に捨て去られる残酷な現実。
小さな頃、祖母に「北海道の線路の下には囚人が埋っている」と聞いたことがありますが、こういうことだったのかと納得しました。
北海道の観光地から美しい景色を眺めるたびに、散っていった人々の無念を思い胸が締めつけられます。語り継ぐべき貴重な歴史書。
羆嵐
1977.05月出版
冬眠し損ねた巨大ヒグマが、北海道の小さな集落を襲った。
大正4年に死者7名、重症者3名を出した日本最大の獣害事件。
集落を襲ったのは340kg、体長2m70cmの巨大ヒグマだった。
伝説のマタギと巨大ヒグマの頭脳戦にも注目!
言わずと知れた吉村氏の代表作です。
朱の丸御用船
2000.07月出版
『破船』と似たシチュエーションだが、こちらに流れ着いたのは幕府の御用米。
米を一すくい盗んだだけで死罪となる時代。
お役人に追いつめられる村人の恐怖をリアルに描いた作品。
事実というから本当に恐ろしい。
三陸海岸大津波
1970年出版
三陸海岸を何度も襲った津波を克明に記録した作品。
明治29年の大津波・昭和8年の大津波・チリ大地震大津波の3部構成。
就寝中に津波が民家を襲う様子に、恐怖を感じました。
先人の体験から教訓を得ることができる素晴らしい作品です。
破獄
1983年11月出版
網走監獄を舞台に脱獄の達人の人生を描いた名作。
あっと驚く脱獄方法。ハラハラドキドキの看守の心理戦。
華麗な脱獄劇とは裏腹に、彼が心に抱く寂しさや虚無に触れ胸が苦しくなるはず。
間宮林蔵
1982年出版
間宮海峡を発見した間宮林蔵の軌跡を克明に記した記録。
彼は樺太と大陸の間の空白を埋めただけではなく、猛獣の住む未開拓の北海道に乗り込み、交渉力を武器にアイヌ民族の助けを借りながら北海道の測量も行いました。
その地図を伊能忠敬に提供し、日本地図が完成したのです。
そこのあなた!北海道も伊能忠敬が測量したと思っていませんでしたか?
読み応えのある大作ですので連休におすすめ。
高熱隧道
1967年出版
舞台となったのは黒部第三発電所。
岩盤最高温度165度という高熱地帯に、ダイナマイトを仕掛け隧道を通す。
幾度となく繰り返される爆発・崩落・滑落事故。さらに、誰も予想だにしなかった雪崩の恐怖が彼らに襲い掛かる。
昭和11年に着工したこのダムは、300名以上の犠牲を払い昭和15年に完成しました。
名もなき英雄たちの犠牲の上に、現在の我々の豊かな暮らしがあることを忘れてはいけませんね。
破船
1982年出版
吉村氏にしては珍しいフィクションの小説。
浜で火を焚いて船をおびき寄せ、座礁させて荷物を強奪することで何とか生きながらえている寒村の物語。
ある日流れ着いた「お船様」には、赤い着物を着た遺体が並んでいた。
今まで重ねてきた罪の代償なのか・・・。
この出来事をきっかけに、破滅に向かう村の様子を淡々と描いた作品。
疫病も怖いですが、閉鎖された世界の集団心理の恐ろしさが際立ちます。
3位 雪の花
1988年出版
天然痘がまだ不治の病だった江戸時代。
人々の激しい抵抗にあい、狂人と蔑まれながらも、私財を投げ打って天然痘の予防に尽力した福井藩の町医・笠原良策(1809-1880)の生涯を描いた作品。
当時の天然痘の死亡率はコロナの比ではなく、20-50%にも達していたと言われています。
江戸時代、天然痘は6年ごとに大流行し多くの人々の命を奪っていました。恐ろしい伝染病です。
牛痘で天然痘を予防できることを知った笠原は、幕府に牛痘の輸入許可を申請。認められたものの、保管技術も輸送手段も発達していない当時は、人から人へ種継ぎをするしか牛痘を運ぶ方法しかありませんでした。
現在では考えられない斬新かつ危険な方法です。
そのため種痘を施した幼児の手を引き、雪深い京都と福井の間の峠を越えるという驚くべき方法で福井藩に痘苗を運びました。美しくも緊迫したシーンです。
天然痘は人類が初めて撲滅に成功した感染症ですが、WHOによって撲滅宣言が出されたのが1980年。意外に最近のことです。
最初に天然痘による死亡が確認されたのが紀元前1100年頃なので、人類はとても長い戦いをしてきたのですね。
現在天然痘ウイルスは、アメリカとロシアのバイオセイフティーレベル4の施設で厳重に保管されているそうです。
もし、厳重に保管されているはずの天然痘ウイルスが世に広まったら・・・と思うとゾッとします。
2位 蚤と爆弾
1989年出版
満洲に拠点を置いた関東731部隊を描いた作品。
731舞台は兵士の感染症予防の研究を主任務としながら、一方で生物兵器を開発・研究しました。主に扱った細菌はコレラ・ペスト・チフス・炭疽などで、人体実験でおよそ3000人、戦場では数万人にのぼる人命を奪ったとされています。
部隊を指揮したのは医師石井四郎。
人体実験の犠牲となったのは、主に捕虜となった外国人で、年齢・性別・人種を超えた幅広いデータを求め、一般の女性や子供も犠牲となりました。
生きた人間を無麻酔で解剖するなど、その研究は残虐さを極めましたが、実験のアイデアはほとんど石井1人によって考えられたものとされています。
この本の中の石井が、「好奇心の赴くままに実験に明け暮れただけ」というあっけらかんとした印象であることも、かえって彼の狂逸さを際立たせます。
石井はサイコパスだったのでしょうか。
それとも、戦争という非常が彼を狂わせたのでしょうか。
戦後、石井の作成した実験データはアメリカ軍に渡りました。
たくさんの罪なき人を苦しめた実験が、せめてその後の防疫に役立ったと思いたい。
1位 漂流
1976年出版
土佐の船乗り長平が、3名の仲間と共に土佐沖で難破。12日間かけて漂流し、当時無人島であった鳥島に流れついた物語。
鳥島は東京から約600km、人の住む1番近い島八丈島まで約300kmも離れています。
植物も育たず水もない島で、口にできる物はアホウドリの肉と少量の海産物と海水のみ。
火を起こす術も持たず、生活に必要な道具も何もない。
この絶望的な環境で、人間はどう生き延びるのか。
3人の仲間は2年経たずに全員亡くなってしまいます。
いつ助けが来るのか、日本に帰る日はやってくるのか。
43年後にジョン万次郎もこの島に漂着し、長平らが作った貯水池や道具、生活の知恵を記した木簡に救われたという事実も興味深いですね。
ロビンソン・クルーソーなんて読んでる場合じゃありませんよ!
だってこっちは実際の出来事なんですから。