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犯人はサイコパスなのか神なのか。日本の介護を考える〚ロスト・ケア〛レビュー

2013年発表
第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作品

作者:葉真中 顕
1976年生まれ 東京都出身

「絶叫」に引き続きこの方の作品は2作目。
「絶叫」があまりにも良かったため、軽い気持ちで手に取ったが期待以上の作品であった。

 

要介護の老人を43人も殺害した犯人は、
サイコパスなのか神なのか

ある町で、老人ばかりを狙った連続殺人が起きる。被害者には介護度の重い老人ばかりという共通点があった。
犯人は誰だ?次に狙われるのは誰だ?

捜査と共に次第に明るみになっていく、綺麗ごとではない介護の現実。
24時間365日休みのない介護。一生懸命尽くしても、目の前にいるのは人格が崩壊し気持ちの通じ合わない、かつて家族だった誰か。
さらにのし掛かかってくる家事、仕事、育児。老人に「死」が訪れるまで、地獄から抜け出せない家族。
見合わない賃金で重労働を強いられる、介護職員。

殺すことで彼らと彼らの家族を救いました。
僕がやっていたことは介護です。喪失の介護、『ロスト・ケア』です

家族を殺された可哀想な遺族を演じつつも、苦しみから解放されてホッとしている複雑な心理の家族。自分の父親を贅沢な介護付き老人ホームに入れ、介護を他人に押し付けながら犯人を糾弾する検事。
両者の温度差が決定的となる法廷のシーンはとても印象的だった。

介護の対象を失ったという意味の「喪失」だと思っていたが、実は「喪失するための介護」であったことに驚愕しつつも、私には、彼の行った「ロストケア」が罪だと無責任に言うことができない。

聖書も効果的に引用される。

人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。

先の見えない地獄に引き摺り込まれた時、人は何を望むのだろうか。

 

犯人にとって、一連の殺人は善意の表れであり、その善意により救われた者が確実に存在する

では、善とは一体何なのか?
殺人は絶対的悪で、それを裁く法律は絶対的に正しいのか
法律のもとに人を殺す「死刑制度」は殺人ではないのか
平和に見える日本社会のエアポケットに落ちた人々に、安全地帯から綺麗事を言う人間こそが悪なのではないのか
この小説は、たたみかけるように我々に問いかける。
我々の中の常識を疑うべき時代に突入しているのかもしれない。

高齢社会の闇を見事に描き、社会に問題提起したすばらしいこの作品が、30代半ばという若さの作者が発表したとは驚きである。

私は家族の介護の経験はないが、入院してきた認知症の患者の担当になったことがあった。
清拭や更衣、トイレ介助、食事の介助の度に「殺される」と叫ばれ抵抗され、時には暴力を振るわれた。
どんなに誠意を尽くしてケアをしても、何も伝わらない。彼にとって私は悪人である。
他の患者にも、まるで虐待をしているような視線を向けられた。
その患者の部屋を訪れる度に、自分が善人なのか悪人なのかよくわからなくなっていき、神経はすり減っていった。
もう限界だと思った頃、その患者は介護施設への入所が決まり退院していった。
ホッとすると同時に、今後その老人の介護をするであろう介護職員たちを気の毒に思った。
終わりのない家庭内介護と比べ、勤務時間終了と共に休息の時間は与えられるが、彼らが相手にする強敵は一人じゃない。
しかも、翌朝にはまた向き合わなくてはいけない。
精神的にも肉体的にも疲弊していく彼らのケアは誰がするのだ?

介護サービスが利益を上げ始めると、介護保険制度の改悪が繰り返される。
そうして、介護に携わる者は首を締めあげられていく。
介護はあくまで善意で行われるべき行為であり、利益を得ることは罪だとでもいうのだろうか?
2019年10月「介護職員等特定処遇改善加算」が導入され、どの程度介護職員が報われるのか見ものである。

 

 

 

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